頭の中の日本語

試運転中

チベット

ここ数日、チベット問題に関するニュースをネットやミクシィなどで目にしました。私はチベットに行ったことはありませんが、信仰を中心にした生活はバリ島とよく似ていると思います。インドネシアでは少数派のヒンドゥ教徒も認められていて、バリ島は海外はもとよりインドネシア国内でも皆に愛されていると感じられます。
ところが、チベットは元々信仰を中心に慎ましく暮らしていた人々が迫害され、信仰の自由を奪われました。
http://www.tibet.to/mondai/index.htm

アジア大陸の水流の源であるチベットでは現在、核実験場となり、核廃棄物・産業廃棄物の捨て場となっているようです。

信仰の自由が奪われることは近代化した日本ではあまりピンとこないかもしれませんが、全ての生活の基本が神を祈ること、信じることによって支えられていますので、それを禁止され、奪われることは、一番根っこの魂の部分を痛めつけられているのです。目を閉じて、想像してみます。一番愛している人たちや、一番信じていることを失ってしまうことを。どんな思いがするでしょうか?
「ガワン・ワンドゥンの証言 刑務所での拷問と尼僧の死」
http://www.tibethouse.jp/human_rights/wangdon.html
このサイトの証言には胸が痛みます。是非目を通してみてください。こんなことが、今でも起きているのが現状です。


ここダプチ刑務所からは空しかみえない
空を流れる雲たち
それが父や母だったら、どんなに素敵だろう
監獄の友たちよ
わたしたちはノルブリンカの花
どんな雹や霜だろうが
わたしたちのつないだ手を離れさせることはできない
いつか必ず雲の後ろから太陽があらわれる
だからそんなに悲しまないで
たとえ太陽が沈んでしまっても
こんどは月が照らしてくれる
だからそんなに悲しまないで
(ガワン・ワンドゥンの証言より、投獄されている尼僧たちの歌)


※写真は証言者の尼僧ガワン・ワンドゥン