頭の中の日本語

試運転中

スクリレックス来日記念!!ソニー・ムーアからスクリレックスまで。

今日は愛するスクリレックスの大阪ライブです。スクリレックスを知ってから、他の音楽をほとんど聴かなくなりました。日本は遠くてライブに行けないので、せめてもの気休めにスクリレックス、そして中の人ソニー・ムーアの痕跡を追ってみたいと思います。まだ、スクリレックスを知ってから2ヶ月しか経ってないので、間違った情報などあったら、お許し下さい。。。そして映像沢山のもの凄く長い日記になりました、読みきれる人がいたら、ありがとうございます。
  
  
初期FFTL時代
ソニー・ムーアが一般に知られるようになるのはフロム・ファースト・トゥ・ラスト(以下FFTL)のボーカルとしてのキャリアから始まります。当初ギタリストとしてバンドに加わりますが、彼の歌声に感動したメンバーはソニーにメイン・ボーカルを任せる事にしました。当時ソニー・ムーアは弱冠15歳。バンド加入のきっかけはSNSサイト「MySpace」を通してでした。そしてソニーはFFTLのアルバム制作中に脱退したボーカルのフィリップ・リードンに変わって、残りのアルバムを完成させます。
このアルバムで曲作りにも参加して、ソニーの当時の彼女との恋愛を歌った「Emily」を残しています。「Emily」は多くのファンに強い印象を残したようで、YOUTUBEにはソニーとエミリーの写真を使った動画が多くアップロードされています。歌詞に注目してみて下さい。

 

十代半ばの少年が歌う全く飾り気の無い愛の真っ直ぐさは、深く心に突き刺さるものがあります。
  
  
ダイブ
以下はソニーのライブ映像です。私はこのステージダイブにもの凄く衝撃を受けてしまいました。

 
ソニーはステージの高い屋根に登り、ダイブというよりはまるで死を覚悟して身投げをするかのようにファンの中に落ちていきます。どんな気持ちでこれをしたのか?
かつてオノ・ヨーコが客にハサミで彼女の服を切らせるバフォーマンス(信頼に関するパフォーマンス?)をしたのを思い出しました。ソニーがあの高さから無防備なダイブした時にファンが受け止めてくれなかったら、少なからず肉体的損傷を負ったはずです。若いソニーオノ・ヨーコほどのことを考えて行為に出たのかはわかりません。おそらく自己放棄的な意識の方が強かったと思いますが、結果的にはファンによって当時の彼の命は繋がっていたのだと感じました。
  
FFTL時代アルバム2枚目の参加とその後の悲劇

レンズ越しに寝床で歌っているビョーキ君がソニーです。
 
FFTLの次のアルバム「Heroin」(2006年)の頃は18歳でありながら安定したボーカルと表現力を身につけています。しかし、同時に摂食障害を患ったり、ライブ前に暴行を受け鼻に大きな傷を負います。色んな要因が重なり最終的に声帯を痛めてしまいます。手術をしてその後、バンドに復帰しますが、メタルコアバンド「アトレイユ」のサポートツアー中に再び具合が悪くなりツアーを断念。FFTLはツアーから外され、他のメンバーに多大な迷惑をかけてしまいます。その後、ソニーは自身の音楽に専念する為という理由で翌年FFTLを脱退します。脱退までの流れは最悪なものだったでしょうが、それからが本当の彼の苦難の時期の始まりだったかと思います。
 
 
自分の音を探す
音楽で生きて行くシビアさを、おそらく若くから身を以て知っていたソニーはFFTLの脱退後も作曲を続けます。高校にも行っていませんし、彼の生きる選択肢は一つしか見えなかったと思います。当時の試行錯誤が音にも現れていますが、ビートとエモーショナルとポップが合体した音を求めてあらゆる事を試しながら彷徨い続けています。声を気遣っていたこともあったのか、以前のような破壊的な叫びは少なく音階にもある種の癖があります。



この頃の音を聴くと特にビョークには強く影響を受けたようで、彼女の力強さと最新の音作りをしながらも常に大衆に向けられるポップさから学ぶ事は多かったのだと思います。(余談になりますが、スクリレックスが積極的にアプローチしたエリーゴールディンや宇多田ヒカルビョークの影響を強く受けている人達ですね)
 
そしてどんどんリズムが強くなって行きます。

 
ソニーが作ったデモテープ「BELLS」からの数曲を抜き出し、2009年、シングル「Gypsyhook」をデジタルリリースします。このシングルの中に「KAI SUI」という日本語で歌っている曲があります。

 
まるでFTTL脱退から今までのことを語っているような歌詞です。しかしこの歌詞にも絶望的な状況に陥っても振り出しから戻ってみようと、決して諦めない強さがあります。
 
2009年の頃のインタビューです。
 
ここまでに大変な苦労をしたようで、顔にもはっきりと苦悩の様子が見えるのですが、ギリギリの精神状態の中、音を作り続けながらソニー・ムーアは乗り越えて行きました。本当にタフな男です。

2009年からはDJセットを持ち込んでのライブが多くなります。

 
そしてダンスミュージックサイドの自身をスクリレックスと名乗り始めます。スクリレックスの始まりの貴重なインタビューです。 


Skrillex "I am Skrillex" (Original Mix)


この頃も素晴らしい曲を多く残していて、2つの名前の間で悩める気持ちを表現したかのような「Slats slats slats」など苦悩とそれを打破する力に私は魂を吸い取られるような感動を覚えました。
 


SKRILLEX - Slats slats slats


 
リミックスももの凄い疾走感があります。これを聴いてじっとしていられる人がいるのだろうか。

 
そして地を這うようにして積み上げてきた努力が徐々にはっきりとした形になってきます。ファンはそんな彼を祭り上げ始めます。熱狂の時代への突入です。

 
2010年の疾走とScary Monsters and Nice Sprites
2010年はソニーにとって忘れられない1年だったと思います。当初はまだ2つの名前での制作を続けていて、この頃残したアンリリースの名曲は前回の日記で取り上げました。声の調子もかなり良くなったように思います。しかし彼はスクリレックスで活動する道を選びます。そして、スクリレックス名義で「My Name Is Skrillex」をリリースします。

下のリミックスも最高です。大好きです。

 
もう誰も止められない勢いのスクリレックスは2010年10月Scary Monsters and Nice Spritesをリリースします。この音!! 

 
印象的なメロディーはソニー・ムーアが独りコツコツと作り続けていたBELLSに収録された音を思い出します。


Sonny Moore - For You/Bells (Lyrics Video)


こうやって降りてきたメロディを育て上げ、一つ一つの音をフラクタルにして濃密な音と感情の空間を作り上げる事にスクリレックスはもの凄く才能があると思います。メロディに対する愛と表現することへの欲求が人一倍強い人なのでしょう。
 
そうしてスクリレックス-ソニームーアはまた観衆の中へダイブします。

Scary Monsters〜では何度も何度も繰り返しダイブしています。FFTLで身投げするようにダイブした少年は、ここでファンの愛を確実に感じ取りながらまるで産湯のような観衆の中に飛び込んで行きます。
 
 
そして現在 
後は誰もが知るグラミー3冠の今のスクリレックスです。自身のレーベル「OWSLA」も立ち上げ、最近はプロデュースの仕事をメインに考えているようなので、曲を作っているのかなー?という感じですが、この男の我の強さはそれでどんどんソフトになって行くようなものでは無いと信じたいです。そして、いつかまた歌ってくれる時が来るのも待っています。ソニーの歌も大好きなのです。その時はメガネを外します。きっと。


 

                              • -

いろいろ端折っておりますが、ずっとスクリレックスについて書きたかったので、やっと書く事が出来てスッキリしました!ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
Om Shanti Shanti Shanti Om