頭の中の日本語

試運転中

siaのchandelier、オフィシャルビデオが公開になりました。


踊っているのはMaddie Zieglerという11歳の少女です。このようなオフィシャル・ビデオになるとは予想していませんでした!Maddie Zieglerの踊りも素晴らしいし、もう溢れ出る生命力みたいなものが魅力的で、何度も繰り返し観てしまいました。

先日、シーアのシャンデリアについてコメントをいただいて、この曲はすごく幸せな歌と受け取る人と、すごく悲しい歌と受け取る人に分かれるということに気づきました。どちらも「すごく」と付けたのは「明日が無いような生き方」というのは極限状態を示しているからなのですが、確かに聴く人の「その時の状態」で正反対の受け取り方が出来るのです。

このシャンデリアのジャケットでもシーアのリリックビデオの最後でもシーアは真っ2つに分かれています。そして今回のオフィシャルビデオでも0:32秒目を観ていただくと分るのですが(構図がムンクの「思春期」みたい)、少女の頭上にボロボロの風貌のシーアの自画像が掛けてあって、ここでも2つに分かれています。

初めてこの曲を聴いた時にエマニュエル・レヴィナスの「人間とは何か。それは1個の存在者であるためには一つであり二つであるということである。実在のただ中にあって分断され、引き裂かれてあること。より端的に言えば、意識をもつこと、自由であることである」という言葉が思い浮かんだのですが、あとからシーアのジャケが2つに分かれていたことに気づいて、自分でも驚いたのです。

この曲が何故このように2つの見解に分かれることが出来るのか考えていたのですが、シーアがこの歌でコミットしている部分が「生命力」そのものだからかと思いました。そこに「最初の」「最後の」生命力みたいなものが見えてきてしまうので、私はなんだか胸騒ぎもしてしまうのですが、この歌でその2つを表現できるシーアの「生命力」を信じたいと思います。

どうしてここまで意識的に自分を分断したのか、正直まだ理解できない部分があります。しかし、何か決意みたいなものが強いので、深く考えた末のことなのでしょう。特に今年に入ってから、シーアがこれから何をするのか予想が出来なくて、毎回想像もしていなかった新しいものに出逢うので、とても興味深いです。