頭の中の日本語

試運転中

SIA 「Eye of the Needle」

ああ、またシーアのことでブログが埋め尽くされてます^^; 。
日曜はイスラムの休暇で、ロンボク島の義姉が帰省して、私の子供たちも連れて夕方海に行ってくれたので(私は一日目で海に入れないし体調最悪でパス)、その間にシーアの歌詞について再考いたしました。

ちょうど、この曲の発表の後に、今の恋人と婚約指輪を付けた写真が報道されていたので、彼との関係性の中で出てきた歌と思ってしまったのですが、音楽を連想させる言葉が多いのが気になっていました。
そこでこれに当てはまる相手を考えていたら、音楽をやっていて、とても素敵な双子の片割れのような昔のシーアの恋人が浮かび上がってきたのです。

「Eye of the Needle」は聖書に出てくる

It is easier for a camel to go through a needle's eye than
for a rich man to enter into the Kingdom of God.
金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴に入る方が易しい。

を連想させます。大きなラクダが針の穴を抜けることは普通に考えれば不可能ですが、金持ちが神の国に入るのは更に不可能であろう、ということです。なので、「Eye of the Needle」は意味的には「不可能なもくろみ」「難しいこと」の象徴かなと思います。
もしかしたら音楽をやっている他の過去の恋人(具体的には知らないですが)と難しい関係にあったとも予測も出来ますが、お互いの悲しみを分かち合っている感じもしますので、付き合うことに色んな障害があっただろうと予測できる過去の恋人のJD Samsonとのことなのかなーと思ったのです。
この歌の中には恋人に対する苦情や苦痛の訴えみたいなものが見られなくて、シーアが苦しく感じているのはこの恋愛自体に障害が多かったことのように思います。
そうすると「私の鞄は重い〜」は自分の多様性や色々と引きずってしまっている物事と感じますし、最後の「針穴に目がくらんだ」というのは、困難ばかりに惑わされてしまっていた状態を示すのかと思いました。

今後、シーアがPVなどを作って、全く別物だった場合は、
また感想は変わるかもしれませんが、今はこんな感じです。

 

(追記:歌詞について考えていたらまた色々書きたくなってしまったので)
今回もいつものようにシーアを通して考えましたが、この歌の内容自体は普遍的な問題について歌っていると思います。
すべての人はその人独自のストーリーを抱えて生きています。それは他人にとってはどうでもいいものかもしれないし、場合によってはそれに対して酷いことを言ったり差別的な態度を取る人もいるかもしれません。しかし、個人が体験してきたことや大切にしていることを、そのように扱う資格が他人にあるでしょうか?

私も以前にバリ人として生きることを否定されたことがあって、酷く苦しみ、甲状腺が腫れてしまったことがありました。あまりに苦しい思いをすると身体に異常が出るんですね。甲状腺の腫れは「海ぶどう」という海藻を食べたら(治療ではなく、おやつで食べただけなのですが)治ってしまったのですが、数ヶ月うじうじと考えて悩み続けました。やはり自分自身を否定されるのは辛いものがあります。

また、この歌は他者の干渉に苦しめられる恋愛で、愛しているのだから別れることも難しいし、常に他人から嫌な思いを受けるのも苦しいという、どちらも選択できない状況についても語られているのかと思います。恋愛だけでなくそういった状況はいたるところにあるかと思います。

今、私がハマっているシヴァ神のテレビドラマ(現在、インドネシアで毎晩放映されているのです!)で、似たような状況を取り上げています。

シヴァと最初の奥さんのサティは父の干渉が酷く、サティは父もシヴァもどちらも取ることが出来ずに苦しんだ挙句、最後には父を許すことが出来ず自殺してしまいます。そして二人目の奥さんになるパールヴァティも母の干渉が酷いわけですが、パールヴァティはそれでも諦めずに持ちこたえる強靭な精神力があるのです。
このサティのような状況をシーアは「針の穴に目がくらんでしまった」、つまり「困難なこと」に意識を向けすぎてしまい本質を見極められなくなった、と自分の過去を振り返って語っているのだと思います。シーアは自殺直前までは行きましたが、サティのように死を選ばなかったので、どうでしょうか?パールヴァティのように強靭な精神力を備えたのかもしれません(生きていてほしい!!)。

シヴァの奥さんが人間から選ばれるのは(魂自体はアリ・サティという女神なのですが、普通の人間として生まれるのです)、神が人間に対して神性を求めているからだと思います。

このドラマに出てくるヴィシュヌ神がとても面白いことを言っていました。
ラクシュミー神はヴィシュヌ神に尋ねます。
「サティの時にシヴァを嫌う厳しい父の元に誕生させて、神はそれに懲りたはずなのに、また何故、シヴァを嫌う母の元にパールヴァティを誕生させたのですか?」
それに対し、ヴィシュヌ神は次のように答えます。
「人間が神性を身につけるには、人間の持つあらゆる苦しみ、感情を体験することが必要だ」。

そう考えると、シーアが今回のアルバムを発表するまでに体験してきた数々の苦しみは、非常に意義深いことだと思えるのです。


おまけ


シーアが妊婦コスプレで、JD Samsonのライブに参加しています。
忙しかったと思うけど、時間を見つけて色んな事していたんですね。
本当この二人可愛い(涙)。

JD Samson & MEN - Making Art

JD Samson & MEN - "Who Am I To Feel So Free"
え?ええ〜!?シーアのButtonsと合わせて見たい驚きの展開。(18禁?)