頭の中の日本語

試運転中

竹宮恵子さんの「風と木の詩」と大島弓子さんの「バナナブレッドのプディング」

(虎の巻みたいな日記になってしまいました。ごめんなさい)

年末に何か軽く読める本が欲しくて友人に「何か貸して〜」とお願いしたら「まだ読んでないけど、街場シリーズだから読みやすいはず」といって内田樹先生の「街場のマンガ論」を貸してくれました。 

街場のマンガ論 (小学館文庫)

最近、本を始めから読まない(小説を除く)。前書きはちゃんと読みます。そのあと、パラパラめくって、まず知ってる言葉が出てくるところ、興味のある言葉が出てくるところから読むのが定番となっています。そうすると読んでいるうちに知っていることが増えていきます。同じ人が書いているからジワリジワリと思考の網のようなものが広がっていって、最後には全く興味がなかった部分まで読むことが出来るわけです。日本にいないから知らないことが多すぎて、そうしないと分からないのです。
この本の最初は少年マンガからだったので、冒頭を読むのは最後になりました。
一番初めに読んだのはもちろん少女マンガ論です!

内田樹先生と竹宮恵子先生の対談本も早く読みたいなー!!

久しぶりにマンガについて読んでいたら、マンガへの熱い気持ちが沸き上がってきたので、私の好きなマンガについて書きたくなりました。絶対長文になってしまいますので、先に好きなマンガだけ報告します。竹宮恵子さんの「風と木の詩」と大島弓子さんの「バナナブレッドのプディング」です(内田先生の本でも何度もこのお二人のお名前が上がってきました。感動!)。現在、竹宮さんは大学の先生をさせているので先生と呼ぶのがいいような気もしますが、「風と木の詩」を書いていた頃の竹宮さんへの愛を込めて竹宮さんと呼ばせていただきます。
最後に読んでから20年以上経ってしまったので、記憶違いがあったらごめんなさい。
また、マンガのストーリーに触れていますので、これから読もうと思っている人はご注意を。

風と木の詩

風と木の詩 1 (フラワーコミックス)

竹宮恵子さんの「風と木の詩」は中学生の時にもの凄くハマって何度も読みました。少年愛もののストーリーですが、愛そのものについて深い洞察のあるマンガです。長く入り込んだストーリーなので、あらすじはネットで探せると思うので端折り、私の中で印象に残っている部分を。

ジルベールの死の場面です。
阿片で身体をボロボロにしたジルベールは彼に性的な幼児虐待を続けた父オーギュの面影を追って馬車に轢かれて死んでしまいます。ここを読んだ中学生当時、このシーンの命があっけなく終わってしまう様がとても悲しくて、何度もその部分を繰り返し読んでは泣きました。ちょうどその頃、やはり竹宮さんの影響でウイーンやドイツの少年合唱団をよく聴いていて、ラジオをテープにダビングしたドイツ宗教歌の一部がそのシーンにぴったりとハマり、音楽を流してその轟く雰囲気を最大限にして読み、ベッドにうつ伏して何度も号泣しました(さすが、中学生ですね・・・あはは)。
そんなジルベールの死ですが、最近「風と木の詩」を思い出していたら、重要な記憶が蘇りました。ジルベールが死の直前に思い出したのは、彼を全身全霊で愛した恋人のセルジュではなく、父のオーギュとの子供の時の幸せな一場面だったのです。これ、中学生の時になんだかやたらと切なくて凄く引っかかっていたけど、理解しきれなかった部分でした。私の記憶が正しかったらこの一場面が見開きで描かれていたように思います。
父に虐待される前の----父に対する期待を胸に弾ませた小さなジルベール
セルジュにあれだけ愛を注がれてもジルベールの狂気が癒やされなかったのはそこだったのか!と気付き茫然としました。ああ、この物語は子にとっての父の存在について描かれたものでもあったのか・・・。

そして、もう一つの印象的な場面はセルジュが死んだジルベールの魂に再び出会い、別れを告げる部分です。
ジルベールを失ったセルジュは感情が死んでしまったかのように、その後を過ごすのですが、ある時、ジルベールが心に訪れるのを感じ、彼を自分の心の呪縛から解き放ちます。
まるで本物のようなジルベールに心のなかで再会し、深い悲しみに対面して少年は大人になるのです。
失った人や時間を本当に思い出せる人はどれほどいるのだろう。愛すれば愛するほど私達はそれを手放したくなくて、「きちんと」思い出さないようにしていると感じるのです。その思い出と向かい合って対面した時に、私達はそれにサヨナラを言わなければならないからです。今、この時間にはその思い出の時間は手中に無いのです。失ったことを認めた時、その過去にある種の別れを告げることになるのです。その時間は確かに自分を形成してきたけど、その時間自体は手の中の砂のようにこぼれ落ちてしまっている。そこには明らかに今の「私」ではない、過去の時間を生きている「私」がいる。それを観た時に私の時間は今に到達するのかと思うのです。

風と木の詩」のテーマについて考えていると、ケイト・ブッシュの「Cloudbusting クラウド・バスティング」を思い出します。

上のPVでは途中で「It's me, daddy」というささやきが挿入されていて、鳥肌ものです(アルバム録音は挿入なし)。
クラウド・バスティング」はオルゴンの研究をしていたちょっとマッドサイエンティスト(というか、凄いマッドサイエンティスト)のヴィルヘルム・ライヒ博士と息子のことを書いた曲です。ケイト・ブッシュライヒ博士の息子が父について書いた本に感銘を受けてこの曲を作ったと語っています。

この曲は思い出と対面して、何かが奇跡のごとく崩れ落ちるような、もしくは現れるような、そんな雰囲気に包まれています。そしてこの曲は私の中ではケイト・ブッシュの「Night of the Swallow 夜舞うつばめ」(ああ、シーアのシャンデリアの歌詞を思い出します!夜中に鳥が飛ぶこの不安定さ!!)の続編のように思っています。

「Night of the Swallow」でケイトは愛する人を必死になって繋ぎとめようとしています。
この心の流れをセルジュの心情に当てはめると重なるものがあります。
愛は「Night of the Swallow」のような、必死の愚かな抵抗を経て、「Cloudbusting」の奇跡へ到達します。

ちなみに竹宮さんを思い出した時にいつも何かの本の(「変奏曲」だったかなぁ??)文末にあった、竹宮さんと寺山修司さんの対談を思い出します。しかし、友達が持っていた本で、彼女の家でざっと読んだだけなので何が書いてあったのか全く覚えていません。けどこんなに思い出すにはよほど大切なことが書いてあったのだろうと思うのです。いつか機会があったら読み直したいです。

 

「バナナブレッドのプティング」

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

大島弓子さんは前述した寺山修司さんの「不思議図書館」で知りました。この本は中学二年生の夏休みに近所の本屋さんで何気なく買ってしまった。むむむ。寺山修司というおじさんには大きく人生を狂わされた。この人を知ったおかげで学校の図書室でマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」を探してしまう中学生になった。私の中学には何故か、沢山の寺山修司の本やサドの本が置いてありました。いったいどの中学生が読むのでしょうか(私か・・・)。「悪徳の栄え」を図書室で読んでいたら、途中で大量の鼻くそが付いているページが出てきて、「悪徳すぎて読めない・・・半端ない」と思いました。ハンス・ベルメール球体関節人形を知ったのも図書室の寺山修司の詩集に写真が載っていたのが最初でした。

不思議図書館 (角川文庫)

話が逸れましたが、その「不思議図書館」に大島弓子さんの「7月7日に」というタイトルのマンガが紹介されていました。その時の寺山さんの解説にえらく感動して早速「7月7日に」収録の本を買いました。それを期に大島弓子さんのマンガにハマり出します。
少女の心の中で起こることを描かせたら大島さんの右に出る者はいないかと思います。
自分自身がまさに登場人物と同じ年頃で読めたことは幸いでした。お正月の夜にお年玉を抱えて大島弓子さんの「バナナブレッドのプディング」を隣町の古本屋さんまで買いに行きました。心を弾ませながら自転車を漕いだ感触と寒い冬の夜の澄んだ空気が今でも忘れられません。冬休みで時間はたっぷりとあるのに、私はとても急いでいて、先走る気持ちに追いつこうと自転車を必死になって漕いでいました(あははは・・・中学生の頃の自分を思い出すのは楽しいです)。

「バナナブレッドのプディング」の最初の数ページを読んで、この本は端から端まで心に刻むように読まなくてはならない本だと気づき、紅茶を入れてクッキーを用意して、部屋を暖かくして全てを整えてから読み始めました。

イライラしている衣良ちゃんは「今日は明日の前日だから怖くてしかたないんですわ」と言い、彼女を救おうとする幼馴染のさえ子はボーイフレンドを作ればなんとかなるだろうと考えます。衣良ちゃんに理想の男性像を訊くと「世間に後ろめたさを感じている男色家」という答えが返ってきて・・・というお話です。(あとの話はこちらで。あらすじを見つけました。→http://wikiwiki.jp/comic-story/?%A5%D0%A5%CA%A5%CA%A5%D6%A5%EC%A5%C3%A5%C9%A4%CE%A5%D7%A5%C7%A5%A3%A5%F3%A5%B0

この当時の少女マンガには風と木の詩も含め、男性の同性愛者が沢山出てきます。それは、少女が一番怖くないのは自分のことを振り向かない男性だったからだと思います。
しかし、その振り向かないと思っていた男性が近づいてくる、もしくは自分が彼に対して恋心を持ってしまうと事態は一変します。

「バナナブレッドのプディング」を読んでから20年後、前述の「球体関節少女人形」を作った芸術家のハンス・ベルメールの愛人、ウニカ・チュルンの本「ジャスミンおとこ」を読みました。

ジャスミンおとこ―分裂病女性の体験の記録

大島さんは「ジャスミンおとこ」を読んでいると思う。

ウニカのことは「ジャスミンおとこ」を読むまでベルメールの愛人として認識していたのですが、この本を読んで真相は全く違うことを知り驚きました。ウニカが精神を破壊するほど愛した人は詩人であり画家であるアンリ・ミショーだったのです。
ウニカは子供の頃、彼女の理想の男性「ジャスミンおとこ」と想像の結婚をします。
その後、彼女は大人になり、普通の結婚をして子供を産み、離婚して、ベルメールの愛人となるのですが、アンリ・ミショーとの出会いにウニカは驚愕します。
彼女の「ジャスミンおとこ」が現実の男性として目の前に現れたからです。
それを期にウニカの精神は崩壊しはじめ、最期は投身自殺をします。
ウニカが一つ決めたこと。絶対に向かい合わないこと。

ウニカは永遠の少女だったのです。この永遠の少女(大人になってしまう明日が恐ろしい子供)を救おうとした試みが「バナナブレッドのプディング」だったのではないでしょうか?

『さあ、ミルクを飲んで』 『心がなごむよ』
そうすると きみはおちついてうなずいて
『また あしたね』というだろう 

「ぼくはきみがだい好きだ 薔薇のしげみのところからずっとね」 

「わたしはいまいってみよう ミルクを飲んで『あしたね』『また あしたね』」

大島弓子「バナナブレッドのプディング」


凄く好きなシーンだったので、セリフをネットで探しました。

衣良は薔薇の木が大好きだった。
「世間に後ろめたさを感じている男色家」と偽の役割を担当していたさえ子の兄の峠は衣良に告白します。その時に衣良は「でも薔薇の木から好きだよなんて言ってもらえるなんて夢にも思わなかった」と呟きます。

そして最後は衣良の姉がまだ生まれていないお腹の赤ちゃんに
「まあ生まれてきてごらんなさい。最高に素晴らしいことが待ってるから」と言う夢を見るところで、物語は幕を閉じます。

この物語のなかではホットミルクやまだ生まれてこない赤ちゃんなど、一見弱くて頼りなさそうなものに含まれる無限が衣良である「私」、読者である「私」を支えてくれるのです。

少女の心は大変傷つきやすい。この物語の「薔薇の木」である峠が衣良に告白しなくても、衣良は生きていたのかな。

 

ウニカがジャスミンおとこであるアンリ・ミショーと対面することができて、彼女の中の男性性と女性性を結びつけることができていたら、生きていたのではないかと思うと残念です。永遠の少女を愛したベルメールは死後、ウニカの墓の隣に入りましたが、ベルメールのウニカへの愛がどんなものだったのか私にはわからない。

ジャスミンおとこ」にこんなシーンがあります。
ウニカは自分が鳥の言葉がわかるアッシジのフランチェスコになると思っている。そして、皆からウニカの愛人として認められているハンス・ベルメールについてこんなことを考えている。
「彼は空へちらとも目を向けない。彼はあの偉大な鰐を見ない。彼は雲の中の光景に過去が通り過ぎてゆくのを見ない。彼はバロック様式がとても好きなのにバロックの純粋の形のものを見ない。彼はだから神の秘密の分かった人でも選ばれた人でもない」
一方でジャスミンおとこ=アンリ・ミショー(またの名を「白い人」)のこの時の役割はウニカのなかでは「神」なのです。窒息しそうな気分だったと思う。

今でもウニカはベルメールの愛人ということになっているので、私は余計なことを言っているのかもしれません。ウニカのウィキペディアなどを読んでも(日本語しか読んでないので英語版は分かりません)、ジャスミンおとこが誰だったかについては書いてなくて、それについてはウニカの文章の中でしか触れられていないのです。

私はかつてベルメールの作品が大好きだったのですが、ウニカを知って、おそらくベルメールの作品からウニカを感じる部分が好きだったのだと思いました。

・・・

大島弓子さんは少女が成長する過程を色々な物語を通じて、祈りににも似たようなものを込めて描いていたように思います。

「バナナブレッドのプディング」から思い出す曲はシーアの「リトル・ブラック・サンダル」です。
この曲は黄金の巨人に囚われた少女がそこから脱出する物語です。この巨人、バナナブレッドのプディングに出てくる人喰い鬼とも似ているかも。恐怖にすくんでしまう少女を黒い小さなサンダルが動いて足が動いてくれて、少女は巨人から逃れることが出来るのです。私がサンダルから連想するのは、生命の樹マルクトの守護天使サンダルフォン=歌を司る女神。
ここでも小さくて弱そうなものが少女を救うキーワードとなっています。

少女たちは小さなサンダルに一杯のホットミルクに神様を見つけるのです。


Sia Little black Sandals KCRW 2007