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頭の中の日本語

試運転中

戸川純さんの「わたしが鳴こうホトトギス」(補足追加文章あり)

音楽

「わたしが鳴こうホトトギス」をiTuneで手に入れました。アルバムを買いたいところでしたが、ここ最近、色々出費が重なっていたので、一番聴きたい新曲1曲だけ。(ごめんなさい・・・)

自曲カバーは、たぶんVampillaの編曲とオリジナルを歌った当時と今の違いに面白さがあるのかなと思うのですが、新曲で今のリアルが一番聴きたかったのです。後から他の曲も少しずつ集めていけますしね。

とてもよかった・・・。

歌詞にも出てきますが、本当に等身大で歌っている印象。あまりの素直さに小学校低学年の子が必死で歌っているときの無心さを感じるのですが、その中に今までの過去も全て一緒に詰まっているのが伝わってくるのです。かといって、重いわけではなく、とても可愛らしい。曲を聴いてて鴬の姿が何度も脳裏に出てきました。私が鴬とホトトギスと混同していたのもありますが、ああ、ホウホケキョウ(法華経)だなぁと思いました。

法華経ウィキペディアで引くと「蓮は、泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を咲かせる」という言葉とともに白い蓮の花の写真があります。この歌から受けた印象はまさにそのようなイメージです。(※注:この部分に関して、大変な誤解を生む可能性を発見しましたので、文末に補足説明があります)

歌詞全体に中国の故事や歌舞伎の言葉(「楼門五三桐」この曲のクライマックスの部分ですね)などが散りばめられていて、こちらのインタビューでも語っておられましたが、古い言葉はその中に込める覚悟が違うので、必然性があって使ったとのこと、聴いていて納得しました。一つ一つの言葉に沢山の物語が詰まっているので、その言葉を確かめながら聴いていくと6分33秒の曲の中にどれだけの思いが込められているのかが実感できると思います。

今回の曲に私の知らない言葉が沢山出てきたので、意味を調べていて、私はなんだか初めて純ちゃんの曲を聴いた時、難しい言葉がいっぱいで、意味が知りたくて知りたくて、辞書を引いていた小中学生の頃を思い出しました。諦念プシガンガの「お昼のドン」とかも調べて、ちゃんと意味を分かっていましたもん。本当にせつないんですよ。「わたしが鳴こうホトトギス」の歌詞を読んでいると純ちゃんも昔と今の時間の距離みたいなものを感じているように思いますが、こちらも同じだけ長い時間をかけて聴いていますから、幼いころの自分と今の年を重ねた自分と対面せざるおえないわけで、その当時の自分が見えてくるんですね。

つい、おばさんの感傷を語ってしまいましたが、若い人も沢山聴いた後に、ぜひ言葉を調べて聴いてみていただけたらと思います。歌の世界がぐっと広がります。その歌声の「なぜ?」に対する答えのようなものに出会える瞬間の喜びは本当に個人的で素晴らしい体験です。

曲はずっと可愛いまま行くのかなと思ったら、純ちゃんが「雨乞ひの儀」をしたあとに大きく曲調が変わって激しくなる部分があって、それがまた良かったです。曲調が変わった後に純ちゃんの声が可愛いままだったのも更に良かった。その対比があったから、前述した法華経のようなイメージが出てきたんだと思います。曲を一緒に作ったVampillaさんの純ちゃんに対する愛をすごく感じました。

 

前回の日記でも少し触れましたが、今回純ちゃんが一緒に仕事をするきっかけとなったVampillaのlilacも何度も聴いています。歌詞の言葉の使い方が良いですね〜!日本の歌詞って(ラップは違うかもしれないけど)、言葉の響きをあまり気にしていないものが多いように思うのですが、Vampillaさんの歌詞は韻が踏んであるので、聴いてて歌詞の音がとても気持ちがいいです。韻を踏むと使える言葉の幅が限られてくる分、言葉の選び方に個性が出てきて面白いと思うのです。(同様の意味でアナグラムとかも大好きです)気に入ってるので、また動画載せてしまいます。


MUSIC VIDEO: Vampillia - lilac (bombs 戸川純 ) from "The Divine Move"

あと、言葉から連想する景色の変わり方も面白い。

曲の一番目は視野が空高いところに行ってから、ぐっと倍率が上がって元に戻っていきます。二番目は横にどんどん景色が流れていって、それがインターネットの上にきゅっと収まる。こういう視野の動きがあると、曲のイメージが広がります。

 

純ちゃんは、これからどんな曲を歌ってくれるのだろう。

とても楽しみです。

 

 

(※補足説明)

戸川純全歌詞解説集」を読んでいたら、この部分の意味の受け取り方が私と戸川純さんで大きく違っていたので、補足説明をいたします。(いきなり「戸川純さん」になっているのは、ファンレターの域を出て、一人の人間として誤解を招きそうな表現の部分を説明するためです)

戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ (ele-king books)

戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ (ele-king books)

 

 

「蓮は、泥の中に生まれても、泥に染まらず、清浄な花を咲かせる」 

 と私は書きましたが、戸川純さんの本を読んでいたら、石川達三の「泥にまみれて」についての記述がありました。

「泥に咲く蓮の花が美しいように、辛抱して忍耐する女こそ美しい」みたいな変なこという人もまだいたけど、私もそういう変なしつけをされたんです。

最近出たばかりの本ですし、どこまで引用が可能か分からないので、これだけにしておきますが、純さんは少女の頃に石川達三の「泥にまみれて」の文章や父親の言葉から、将来「泥にまみれて」の人のように、耐えて耐えて、諦念とか我慢とかを抱えて生きていくと思っていたらしいです。

私の使った言葉とほぼ同じ言葉が、正反対の意味として戸川純さんの心の中では存在していたので、本を読みながら「あああ〜!!あかん言葉使ってしまった。あわわわ」となりました。

私は泥に咲く蓮の花の話はOSHOの講話に感動して、そこに由来しています。

長くなりますが引用します。

蓮は泥から生じる___
もっとも美しい花は汚れた泥から生じる
このことは、汚れた泥であろうと
内側に何か美しいものを秘めていることを意味している
だから泥を拒絶してはならない
それは蓮を内に秘めている
人はこの誇り高く
これほどの色合いを持つ美しく優雅な花が
ありふれた泥から生じるとは
思いもよらないだろう
人間はありふれた泥として生まれるが
内側には蓮の花を秘めている____
まさにその種の状態において
人は拒絶されるべきものではない
人は受け入れられ、変容をとげる必要がある
この世界を否定する必要はない
それは限りなく美しい何かをはらんでいるのだから
それは表面にあるものではない
それは表面にまで浮上させる必要がある

だから私はどんなものにも抗わない
肉体にも世間にも、外界のものにも抗わない
私はすべてに抗うのではなく
すべてを変容させるためにここにいる
存在からの贈り物にはどんな物であろうと
何らかの価値がある
その価値を理解できないとすれば
それは私たちの落ち度であり、狭い視野のせいだ
蓮について心に留めておくべき二つめのことは____
それが水の中に生息しながらも
水に触れられることはないということだ
蓮はビロードのような花びらを持ち
たとえ露滴が花びらの上に溜まろうと
水滴ははじかれている

世の中に生きなさい
だが世間をあなたの中に浸透させてはならない
世の中に留まりなさい
だが世間の一部とはならないことだ
離れていなさい
クールであり、常に一定の距離をおくことだ
そうすれば、この世界は実に多くのことを教えてくれる
この世界は存在のあみだしたもの
成長し、成熟を遂げるための学びの場なのだ

 

特に好きな部分は「人間はありふれた泥として生まれるが、内側には蓮の花を秘めている」です。

戸川純さんに影響を与えた「泥に咲く蓮」の意味は「辛抱して忍耐する女こそ美しい」ですから、「蓮になるためには辛抱や忍耐が必要」ということになってしまうのですが、私が思っていた「泥に咲く蓮」は「蓮は泥の中にあっても汚れずに美しい花を咲かす」で、「どんな環境も蓮の魂を汚すことは出来ない」という解釈です。

なので、この部分で私が言いたかったのは「何事も純ちゃんの魂を汚すことはできなかった。今、実に見事な蓮が咲いているなぁ」ということです。

全ての人の中に蓮の花はあると思うのですが、「泥にまみれて」蓮の芽が潰されてしまうこともあると思います。蓮の魂を失わなかった人だけが「泥にまみれず」蓮の花を咲かせるのだと思います。

以上、この部分は誤解を生んでしまったら、非常に残念な気持ちになるので、補足いたします。